霊的クリスチャンのススメ
おはこんばんちは!
週末に近づく、雨が降る。
そして主と交わる。
という事で、私たちクリスチャンがどのように成長すべきか?
を考えて行くことにしましょう。
先生、祈りによって成長しますか?
どうですか? 世の先生達〜
まぁ、しませんよね。
例えば、ヘルマンヘッセの「知と愛」の中で、主人公のナルチスがこう言います。
(青年期に読んだ本でうろ覚えですが)
「ヘブライ語を学び、アリストテレスを注釈し、聖堂を飾り...瞑想し、それ以外、私に目標はない」
素晴らしいですよね。でも、それがクリスチャンの成長なのか?その為にする事...では無いです。聖書的には「霊的な成長」が望まれる訳ですから、霊が中心にこないとなりません。
果たして「霊」とは何かですが、多くのクリスチャンの理解では、創世記の三章でイブが蛇に騙され食べた「善悪の知識の木」の実は「食べると....必ず.....死ぬ」もの。何が死んだかと言うと「霊」という理解になるのは正解だとパウロの書簡からも明らかです。
私たちの霊はアダムにあって、死んだものなのです。それを再生して下さるのが、我らがヒーロー、イエス・キリストの死と復活です。
つまり、キリストによってしか「霊」の再生はなされない。という理屈です。
霊は、世の人が思っているようなふわふわしたエーテル体と言ったものではありません。
この霊、不思議ですよね?
魂に思い、意思、感情があるわけですが、霊にも意思や感情があるのでしょうか?
お父さんは、主は、そんなダブった設計をするでしょうか?
霊とは、ある機能的な要素を持っています。それは「神、天の領域と交われる機能」です。
それは、霊=神さまご自身という事です。土から作られたアダムに吹き込まれた「息」こそが霊であり、ゾーエの命な訳です。
私たちの霊がキリストからの分与であることが分かってくると、私達の内にある霊とは...キリストなんです。
パウロが言ってる事に直結してくるし、当然イエス様の言葉でもあります。
ワオ!
さて、ではこの霊の成長って?
イエス様を成長させるって?
そうでは無いんですねー。私たちの霊はキリストの霊ですが、その機能は「神との交わり」です。
自転車があったとして、遠くまで自由に走り回るには訓練がいります。同様に私たちの「霊」もお父さん、イエス様との交わりをしなければ、その機能を伸ばす事が出来ません。
使わなければ使えるようにならない!
キリストによって再生された私たち、クリスチャンの最大の訓練、目指す成長とは神ご自身と会話し、約束をし、ご計画(オイコノミア)を実現させる事で成せるのです。
個人預言が悪い訳ではないです。しかし、キリストの死と復活に預かる者であるなら、神さまとのダイレクトな関係を深めて行く事が望まれますね!
アーメン
ハレルヤ